Wow:tw:taipei1999:before

出典: Tariki

1999年夏に台湾を訪れようと思ったのは、2つの理由からである。

まずひとつは、この年の4月から中国語を勉強し始めた、ということである。学習の経緯は別項に書くが、旅行のために中国語は役立ったし、中国語の学習のために旅行は役立った。出発前には結構、MP3プレーヤを使ったり他の教材を使ってみっちり勉強した。したがって出発時にはそれなりに簡単な構文は作れるようになっていたが、何しろ英語以外の第二外国語を習ってから旅行に出て使ってみる、という体験はしたことがない。ドイツ語は大学時代、かなり長く勉強したが(あまり残っていないが)、ドイツ語圏にはいまだいったこともない。

もうひとつは、ICQ友であるsinyiのお勧めである。これも別項に書くが、彼女は台湾人であり愛国者である。実はこのとき長期に休暇をとって、あるやりたいこともあったので邪魔が入らない日本国外に2週間くらい滞在して仕事兼観光旅行をしよう、と思っていたのだが、したがってネット環境がある程度発達しており、中期滞在してもあまり宿・飯代がかからないということで、候補地には台湾のほかにたしかシンガポールとタイ、それに台湾を選んでいたと思う。シンガポールも現地のICQ友にいろいろきいていたのだが、sinyiと話していると、そういうことなら絶対に台湾に来い、という。そんな理由で台湾を選んだのだから、出発前にはどんな国なのかよく知らない状態ですらあった。

ビザの取得

往復でディスカウントチケットを取った。これはあまり高くない。自分の休暇日程ぎりぎりと、あと出発日・到着日による値段をみたら、結果的に23日間になった。

台湾は当時、21日を超える旅程ではビザが必要、ということになっていた。国交のない日本では『日本台北文化交流処〓』というのが大使館の役割をしている一番近くでは、JR関内そば(現在の最寄はみなとみらい線の日本大通駅)の、横浜球場横の日本大通にある。後日ここに婚姻届を出しに行くことになるのだが、当時そんなことは知らない(笑)。

ビザを取ったのは1996年? の中国旅行(当時中国は短期でもビザが必要であった)のため都内に行ったのに続いて2回目だったが、なんのことはないパスポートに押されたはんこ(と駐在員のサインとか)である。1999年には結構粗末なビザであった。その後台湾でビザが必要なくらいの期間の旅行は一度だけしたが、そのときにはもう、偽造防止だかなんだか、りっぱなシールに変わっていた。

宿の予約?

中期くらいの滞在なら、普通のホテルよりも、ウィークリーマンションのほうがよいだろう。というのは日本の感覚である(ちなみにニューヨークのときも短期だったが、この種の短期リース物件を友達と借りた)。webで探して『それっぽい』不動産屋に直接、国際電話をかけた。当時webによる予約なんてものは、あまり一般的ではなかった(あったことはあったが間口が狭く、後述するような安宿は取れなかった)。

中国語を勉強しはじめたのは4月である。宿を予約した7月にはまあ構文を作れるくらいではあったが、一応下書きもして読み方も覚えて、無謀にもいきなり電話をかけた。

『3週間くらい家を借りたいんですが』みたいなことをいったと思う(ここまで1分くらい掛かった)が、相手には通じてないらしい。相手も何か言うがこちらもわからない。聞き返すと易しい構文で言い換えてくれる。そうこうしているうち、電話のあっちでもごもご音がして、なんと日本語が通じるスタッフに代わった。台湾は日本語が通じる度が高い、というが、やはり結構いるものだ。

そのひとによると、ウィークリーマンションみたいな物件はないとのこと(なあんだ)。また普通に不動産を借りてもよいが、電気や電話は自分で引かないといけないので高くつくよ、ということである。

いろいろ情報を集めると、安いホテルがあるらしい。1000元以下というから一日3000円である。当時私が住んでいたアパートが月に8万ほどだったので、一ヶ月『住んで』もうちの狭くて何もない下宿より安い (ちなみに中国語ではホテルに滞在するのも入院も『住む』という動詞である)。とはいっても旅行中も私のアパートの家賃は払わないといけないわけだから、旅しているほうが安いというわけではないのだが。

こんな安宿を国際電話で予約するほどのこともない。寝る場所くらい何とかなるだろう、と思い、結局現地についてからホテルをとることにした(これまた無謀だ)。