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出典: Tariki

一つの中国

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一つの民族であるとはどういうことか。人種が同じ、言葉が同じ、通貨や経済状況が同じ、宗教が同じ、地理的状況や食べ物が同じ、などいろいろあると思うが、日本にいるとあまり考えるチャンスがない。身の回りのひとすべてが黒髪で黒い目で黄色い肌で日本語を読み書き喋れて(ただし茶髪顔黒は日本語が通じない)、年収が何百万かでクリスマスの1週間後に初詣をし、座るときついよっこいしょと言うひとばかりだから。

今回の旅行ほど『一つの中国』ということについて深く考えさせられたことはない。まあ旅行に行かなかったとしても、時期も時期だし(オリンピック終了後分裂説などもある)、うちの中には『一つの中国』と言われて嫌がっているのかどうかよく分からないところの台湾からきた台湾人の嫁がいる。

雲南省では現地人がぺちゃくちゃやっている言葉は聞き取れない(標準中国語ではない)。まあこんなことは広い中国では当たり前のようにあることだ。旅行の最後のほうで行った広東省と香港でも標準中国語で通すほうが無理で英語のほうがよっぽど通じる。『一国二制度ひとつの中国』の香港では法律も通貨も別だし、広東省はマレー系の顔が混ざっており雲南省ではチベット系やベトナム系の顔立ちをみかける。

雲南省というのは原住民の省だ。雲南省には中国全土で56いるといわれる民族のうち25族がいるという。現地ガイドの喬さんは哈爾浜(ハルビン)出身の漢民族だが奥さんは大理出身の白(ペー)族で昆明で暮らしているそうだ。雲南省では漢民族の方が『少数民族』だという。公式の呼び方は『少数民族』のようだが、いわゆる原住民族だ。原住民がやまの上でつつがなく暮らしている。そこに漢民族がやってきて、今日からここは中国だ、と宣言する。日本でもそういうことはあったし、世界中そこかしこでよくあることではある。

ただし雲南省は異国との境界に近いわけで、中華人民共和国政権になってからはじめて(または久しぶりに)中国中央政権に統治されたひとたちもいるのだろう。北京はそういうひとたちに配慮をし、いわゆる北京基準で幸せになれると思われるような援助をしている。言葉や教育、通貨や通商、法制度などである。これはまったくの善意だろう。ところが最近では騒動の原因となっている。

こんにちの世界ではグローバルスタンダードは西欧化・キリスト教化を意味するものではなく、アメリカ標準化を意味する言葉である。現政権も国内全体が北京化すること、イコール、グローバルスタンダード化すること、イコール、幸せになれること、だと思っているようにみえる。中国国内で原住民にとって北京化が幸せな道かどうかわからない。努力して文化や習慣を守っているひとたちもいるようだ。その多くは観光地で、近年ではそれをみせることを生業にもしている。一方で若者が都会に出たり、いままでの習慣が失われたり、というのは、グローバルスタンダードな暮らしと引き換えにする価値があるのだろうか、と私は思う。だがこれも無責任な一観光客の感傷である。いわゆる都会人の田舎を守れ、である。