Ev:nakata
出典: Tariki
ハイカラ・ガール/capsule・Game/Perfume
(2008/ 6/12) 中田作品についてまとめて★★★★☆
この項はちょっと他と毛色が違って、中田ヤスタカ作品に関する評論である。作品名が具体的にないと評論にならないかと思って他と統一したが、まあそういうことだ。
中田ヤスタカとの出会い
capsuleは、金沢出身の中田とこしじまとしこの2人バンドである。2002年ころだったか、初めてこのバンドの楽曲(Music Controllerだと思う)を5秒くらい聴いたとき、一瞬にしてその音楽の豊かさ・サウンドの洗練性・新しさに惚れてしまった。
んでこういう場合、Amazon.comの『ワンクリックで購入』ボタンを押すと、確率1/2くらいで送られてきたものを聴いてがっかりしちゃうのだが、そして確率1/3くらいで素晴らしいのはその部分(耳にした部分、サビなど)だけだったりしちゃうのだが、そして確率1/12くらいでアルバムの中の聴くべき曲がそれ(耳にした曲)だけだったりしちゃうのだが、このアルバムはアルバム一枚に渡って素晴らしい出来栄えであった。
時は流れて2007年。NHK教育テレビ(私はまにあだ)を観ていたら、10秒くらいのCMでアイドルが踊っている楽曲が流れた。隅の文字を頼りにぐぐってみると、そのCMは公共広告機構とNHKが共同で制作したこと、Perfumeという秋葉原系アイドルグループが歌っていること、そのグループの楽曲(作詞・作曲、音作りまで)は例の中田ヤスタカが行なっていることがわかった。
2008年になって、Perfumeのアルバム『Game』が発売になったので、ふと通りがかりのレコード屋でCDを購入しようとしたら、その前後の週にオリコンNo. 1(おお、懐かしい響きだ。おりこんなんばーわんの楽曲を購入したのなんて何十年ぶりだろう)になっていることがわかった。ちょっとレジに持っていくのが恥ずかしかった(笑)。
中田ヤスタカという男
このひと、よくは知らないが、かなりのマニアであると思う。作品を聴いていて感じられるのだが、実は私も同じような傾向がある。私が高校生くらいでコンピュータによる音楽制作に手を出した段階では、冨田功がラベルやホルストの音楽をシンセ多重録音で鳴らし、YMOがMC-8でMoog IIIc (松武秀樹の担当だ)をぴこぴこ鳴らし、せいぜいガキの私がいじれるものといったら友人のRoland System 100Mだとか、ちょっと時代が流れてYAMAHAのMSXミュージックコンピュータだとかいったものだった。PC上でシーケンス・音作り(バーチャルシンセで古典名機のアナログな音も出し放題だ)からマスタリングまでできるいまの時代に、体力とお金と暇があれば(全部はないことになっている(笑))時間を忘れて汗をかくまでいじりまくり、こういう音楽作品になるだろうな、という同族意識が感じられるのである。
汗をかく、というのは、本当に汗をかくのである。楽器をいじっていて気に入ったサウンドが出てくれば気がすむまでつまみを回しまくり、気に入ったメロディラインやシーケンスのかけらが出てくれば、シーケンサで気が狂うまでループ演奏し、ああでもないこうでもないと修正しながらコードをいろいろ付けてみる。レコーダ系のソフトでサウンドを収録すればいろんなエフェクトかましてピッチ修正してサンプラに食わせて鳴らして多重化して、そりゃもう部屋はうるさいはずである。ご飯よと呼ばれてもやめないし、膀胱炎寸前までトイレに立つのも忘れる。
で不思議なのは、1980年生まれのはずの中田ヤスタカがどうしてこんな世界をつむぎだすか、なのである。1980年といえば、YMOが散開するころには中田は「ばぶー」とか言っているはずである。後から勉強したにしても、テクノポップの本質的なかっこ良さを、しかも70年代テクノポップとは違うサウンド・形で自分流に再現している。
テクノっぽさだけがよく評価されるようだが、中田作品に共通して言えるのは、まず楽曲の良さである。メロディラインとコード進行だけを取り出して別のアレンジをしても聴け、後世にまで残るものをスタンダードというが、中田楽曲にはそういうラインが数多くある。さらに日本人だよ目玉焼きにも醤油かけるよという、平たく言うと『和風』のメロディライン。同じドレミソラで中華風にも演歌にもならない、どっちかというと童謡に近いがカッコいいメロディラインは、私が敬愛するプログレバンドKENSOの清水先生 (ひょんなことから私の主治医だ(笑)) の作品と双頭を成すと思う。
コードもこれでもか、という凝りようである。ジャズもかじっているのかもしれないが、気持ち良い分数和音 (on IIが多い気がする) は、繰り返しメロディーであっても繰り返しごとに異なったものが付く。豊かだがこれ以外のコードは考えられないのではないかというくらい自然である。
また妙な対旋律も中田作品の特徴だと思う。特にボーカルグループであるPerfume作品で150%発揮されているのだが、クラシックの古典的な対旋律でもなく、勉強不足で気持ち悪くなったりするようなラインでもないが、何かコリコリした違和感を残してメロディラインを忘れられない印象にしてくれる。
サウンドも決して綺麗な音ばかりを羅列したのではなく、刺激臭があるぶっとい生生電子音であったり (それを音楽にするのが難しいんだが) ダーティなミキシングであったり (自分のプレイヤーが壊れたんじゃないかと疑うしMP3化すると情報量が多すぎて音が変わってしまう)、それが計算づくの結果であるのが生意気である。
要するにすべて、ああでもないこうでもないと出来上がるまでいじりまくった末の丁寧さがあるが、センスが悪い奴だとこうはいかない。いじればいじるほど悪化する(笑)。たぶん小さいときから良い音楽をたくさん聴いて、良い本もたくさん読んだかもしれないし美味しい料理もたくさん食べたかもしれない、良いセンスのフィルタを通ってきた丁寧さなのである。
ここまで中田をべた褒めであるが、何とかして欲しいのはボーカリストの扱いと歌詞である(笑)。いやこれも否定しているのではないが。
まずボーカリストは、capsuleでもPerfumeでも女性であり、そこそこキャラクタリスティックで歌も下手ではない。だが、中田はまるでそれを『性能の良い楽器』のように扱い、作り変えてしまう。私がボーカルだったらちょっと耐えられないと思う。
歌詞もクレジットをみると、中田は自分で書いているようだ。同世代の女の子の立場で書いているものが多く、想像力豊かなのはよいが、やや言葉の選び方が詩というには危うい。それでいて過剰とも思えるくらい韻を踏んでいる。音として聴くと実に気持ちよい。憶測するにこれも、要するに中田にとっては日本語というのはシーケンサのひとつであり、詩というよりはその文字を並べたときに出力されるサウンドのために自分で作詞というプログラムをしているのではないか、と思える。
つづく。
