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出典: Tariki
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自動飛行はなぜできないか
自動飛行といっても分けて考えると、自動離陸・自動操縦・自動着陸である。現実の航空機の飛ばし方としては、なんとこのうち自動離陸以外は普通に行なわれていることだし、自動離陸も(作業内容としては同じことが)できている。
このページでは、完全自動機の実現をもって航空の自動化といいたい。パイロットなしということである。横浜高速鉄道(八景島線)、あるいはおサルの電車でもいいが、客はいるけどパイロットはいない、という運行である。人件費を考えたら必要なとき地上からリモコン操縦でも構わない。某掲示板の議論では「できない」派が多いが(私も一応それには同調するが)、これは技術的な話ではなく、現実世界とのすり合わせ上の問題がいちばん大きいような気がする。
というわけで思いつくまま。
現実の自動操縦・自動着陸
既存のもので(ある条件下で)使用が認められている自動操縦・自動着陸装置といえば、FMS・INS・オートパイロット・ILSあたりの技術 (なんかレベルの違うものをごっちゃにして列挙している気がするが、許せ) が大きいだろう。最近ではこれにGPSが加わる。
機器航法、つまり地上の無線標識と方位磁石などを使って位置を知る航法の歴史は古い。またオートパイロット、つまり高度や機速、方角を一定に保って飛ぶ装置というのは、これはもう飛行機の操縦法が確立されると同時に考えられてきたものである(程度問題だが、操縦桿に力を加えなくて良いためのトリムなどその第一歩だろう)。その後いわゆるオートパイロット装置には、一定の割合で上昇下降する、さらにINSやFMSと連動して自動で針路を次々決めていく機能、ILSと連動して自動で着陸する機能が加わっていく。
無線標識がない場所で機の位置を知るためには、ジャイロや速度計を利用したINS(慣性航法装置)が古い。またこれにGPSが加わって、より高精度になってきた。
FMSはたいした発明である。これは種々の情報を統合し、オートパイロットを動かして定められた航路を飛ぶための援助機器である。最近では人間ではリアルタイムな計算・判断が難しい、気象条件に応じた燃料の最適節約航路を飛ぶためにもなくてはならない装置である。
このように振り返ってみると、自動操縦が進化してきた過程というのは、すべて(1)既存の技術に追加する形で (2)既存のパイロットの(要求・可能)技量を拡張する形で (3)既存の法規制などを徐々に変更する形で (4)既存の社会通念に照らし合わせて問題ないとされる範囲を拡張する形で、進化してきたのだと思える。今後の進化も同じだろう。
だから現在は、『通常は出来ないこと』とされている自動離陸とか無人旅客機を、『いまの技術では不可能なのだ』『許されないことなのだ』と決め付けてそれ以上の思考を停止するのはいただけない。技術的に可能かどうかと(1)・(2)のように現状に追加する形では難しい、というのを混同してはならない。現状で許されていないのは(3)・(4)の縛りがあるからであって、そもそも縛りを取っちゃえばできるじゃん、ということもある。
ここではもちろん『現状への追加』『現状の縛り』ではなくまったくの新規技術・制度として生まれたらどうなるか、ということも考えてみたいし、『どうすれば現状への追加・変更で出来るか』『どうすれば縛りが取れるのか』も考えてみたい。
人間と機械はどちらが信頼できるか
人間が操縦するのと機械が操縦するのはどちらが信頼できるか。多くのひとは『平常時なら機械のほうが正確だが緊急時には人間がいなければならない』と答えるだろう。だがここは航空機を無人化するはなしをするところだ。緊急時に本当に人間が必要か考えてみたい。
まず『手作り神話』は捨てたい。これは私が言い出したことではなく、教科書にも載っている有名なエッセイのネタである (探したけど出典は見つからなかった)。機械が打った蕎麦より人間が打った蕎麦の方が美味い、と珍重するような行為である。詳しくはその手のエッセイ等を読んでほしいが要点を書くと、人間は均一な品質を目指して機械化(自動化)を進めてきたのだから、いまさら蕎麦が太いとか細いとかばらつきがあるほうが美味しい、というのはおかしいという話だ。もし蕎麦の太さが一定していない方が科学的に美味しいなら、はじめから太い蕎麦と細い蕎麦が混在するように機械で製造すればよいのだ (実際『手作り風』といって品質がランダムにばらつくように自動生産する方法はある(笑))。太い蕎麦と細い蕎麦の混在比率に最適な点があるのならば、それまた手作りは機械に敵うわけがない。
要するに同じことを繰り返すにあたって人間は機械にかなわない。そして操縦は同じことを正確に繰り返す作業である。いっておくが、後述するように毎回の環境の変化に正確に対処することを含めて正確に繰り返すといっている。初めてすることは人間のほうが優れているに決まっている、というか機械にはできないが、誰も初飛行する機体、初運用する空港に自動操縦を適用しろといっているのではない。
また航空機の操縦(挙動)というのは、完全に物理学の世界である。なにやら謎めいていたり、同じ条件でも毎回正解が異なる(正解がないともいう)こころの問題だとか宗教の世界ではない。ある条件が決まれば最適な操縦というのはひとつ、必ず存在する。最適な操縦が決められないのは、条件が足りないか決め方を知らないからだ。自動操縦に限らず、人間が機械より優れている分野は機械への入力パラメータが足りないからであるか処理方法(アルゴリズム)が分からない・処理方法が誤っている分野だ。
処理方法を知らないというのは複雑系など、現象の挙動が十分に解析・モデル化されていない分野だ (実は人間が関与する宗教の世界とかこころの問題とかもそうだと思う)。流体力学などは複雑系の世界であり、この手の問題が手に負えないのは私もよく体験している。しかし複雑系に複雑系という名前が付いているとおり、複雑系が複雑だと解明しただけでも人類はたいしたもので、さらにそれなりの近時解が求まったりしている分野もある。したがってそれなりの操縦(分かっている範囲で最適に近い操縦)をすることは現状の技術でも可能な部分がある。日々の航空業界の皆さんの研究と開発を待つ、としかいえない。
もうひとつの、システムへの入力(条件)が足りない、という要因は、自動操縦ができない理由の大部分だと思われる。入力パラメータがほとんどないような現在の自動操縦でも『平常時に機械のほうが優れている』と認めるひとは多いだろう。『平常』でないときとは現在の航空機システムで検出できないような入力 (乱気流とか) があるからで、入力が増えたら優れた操縦ができる『平常時』の範囲が増えるというだけだ。
たとえば着陸前に乱気流がひどい場合、自動操縦より人間の操縦のほうが信頼できるという。風だけを問題にしたら、空港手前の進入経路を100分割してドップラーレーダで観測し、航空機にリアルタイムでリンクしたら自動操縦のほうが安定して飛行できるはずである。雨の具合も滑走路が濡れている具合も滑走路を100に細分化しセンサで計測、他機や地上の障害物も精度を上げたレーダで計測、と機械の目(入力)を増やしていく。航空機単体ではなく、空港や空域を含めた全世界をシステムとして考えることが重要である (軍用機の世界で機単体の性能ではなく哨戒機などやデータリンクとの連動を考えることが重要なのと同じである)。
人間は経験に基づく予測 (『勘』)もできるという反論があるだろう。しかしこれも科学的に処理できてしまう問題である。まずドップラーレーダで細かく分割した領域の風の動きを観察したら、過去の風の動きと照らし合わせて統計的に未来の風の動きは数学的に『最尤に』予測できる。最尤、というのは聞きなれない言葉かもしれないが、『もっとももっともらしい』予測ということだ。つまり個別の事象の予測は外れても、その事象が取るであろうもっともらしい(尤もらしい)中心値は分かる。中心から外れる度合いとその頻度(確率密度分布)も一緒に出せば危険に対する上限値もいえる。これで人間の『勘』などははるかに上回る正確さで予測もできる。さらに数秒前から推力を上げる必要があれば、その同時並行・事前動作的な処理も機械の方が得意である。
このように『目』『同時に考えるべきこと』『手足』が増えていったら人間ならお手上げであるが、機械ならより的確に処理が出来る。問題は、システムが複雑化したら故障も増えることである。
処理アルゴリズムが複雑化することに起因するエラー(考え、実装するのはミスをする人間である)は、アポロ計画などのテクノロジを使う。全然別の設計者による全然別の複数の製品の多数決を取るのは最も単純なやり方である。
数が増えた入力センサの信頼性については、センサの故障を監視することで対処する。あるいは一部のセンサが動作しなくても他の情報で補えるように処理を設計すればよい。
故障ではなく事故については、これも対処できないのは入力が足りないからだと考える。『よくある』緊急事態 (片発エンジン停止、バードストライクなど) については、あらかじめそれを検出するセンサを装備し、最適に近くの空港に戻す計算方法(この実行の指示は検出を知った地上からアクティベートすればよい)などは決めておく。
それでは対処できないようなケースのために人間がいるのではないか、といわれるだろうが、『それでは対処できないケース』とは何だろうか。非常に極論をいってしまえば、ギムリー・グライダーのようなケースだって『原因が検出できて』『想定されていれば』機械で対処可能なのだ。燃料がいまなくなったら(あるいは全発停止でもよい)どこにグライダーで着陸するか、刻々計算しながら飛行する。燃料がなくなったことを検知したら (そもそも燃料センサが故障していたから事故が起きたのだが)、あるいは理由はなんでもよいからエンジンが完全停止したという検出をしたら、最適制御をして空港にベストなグライダー着陸をさせる。
それでもダメ (着陸できる空港がない、最適着陸でも乱暴すぎて怪我人が出た、など) なら人間の操縦士だって対処できない場合が多いだろう。「あきらめてくれ」というしかない。というと反発を受けるかもしれないが、ETOPS207分だって「まあまあ大丈夫なんじゃないの」という妥協の産物であり、207分以内なら絶対助かり(もう一方のエンジンは207分間絶対に故障せず)、208分を超えたら絶対助からないわけでもないだろう。
なおこの仮定は『想定されている』事故が非常に多く、すべてのケースにおいて検知するセンサと処理するアルゴリズム(それ以前に原因がそれだと正しく判断できるアルゴリズム)があると仮定している。起きたことがないようなケース、起きたことを検知できるようなセンサが用意されていないケースには(当然ながら)対処できない。だが大抵の『よくある』事故はすでに起きている。人間の操縦士だって過去のケースをシミュレーションしているから対処できるのである。機械に対処できないが人間が対処できる『想定外の』ケースがどれだけあるだろうか。人間はある程度『応用が利く』『融通が利く』部分に賭けているわけで、想定外のケースが起きる確率と、そのために操縦士を残すためのコスト(あるいは操縦士がいることで別の危険が増す確率)を冷静に天秤にかけなければ、感情的な議論の域を脱しない。
ここまで完全自動操縦ができない原因を潰しても、おそらく納得できないのは(自分で書いてても思う)
- 人間の操縦士が適切に操縦できなくてダメならあきらめきれるが、機械なら実はもっとどうにかなったのではないか、と思える点 (感情論)
- 現在のシステムからの移行を考えると難しい点: 例えばいま飛んでいる飛行機は設計変更が必要だが? いま運用している空港改修が必要だが? ……
あたりだろう。感情的なことは、『世間の考え方』『常識』が代わるのを待てばよい。全体が改変されないとどうにもならないことについてはやはり、ドラスティックに(すべての航空機・空港を一ヶ月止めて改修するとか)改変する妄想を描くか(笑)、徐々に(200年くらい? かけて)改変していくしかないのだろう。
自動離陸はなぜ難しいか
自動離陸は簡単である。よく
素人は勘違いしやすいが、着陸より離陸のほうが難しいのだ。
という記述を見かけるが、おまいこそ勘違いしている(笑)。やはり純粋に技術的なことを考えたら、着陸のほうが難しいに決まっている。空中は航空機の動作についてある程度のブレ(移動方向・速度・高度など)が許容される世界である。離陸前・着陸後の地上はブレが許されない度合いが少ない。着陸可能な場所は理想的には点(現実には細長い面)だし滑走路上では方位・止まれる(浮上する)速度が制限されるし、停止位置は任意で選べるといえ一次元上のどこかで、そこでは速度は0と決まっている。したがって、ブレが大きくてよい世界からブレを取り去って一点に収束させる動作(着陸)のほうが、ブレが許されない世界から徐々に許容ブレ量を拡大しつつブレが大きくてよい世界に移行する(離陸)より難しい。実際に事故は着陸時より離陸時のほうがはるかに多い。
それから心理的要因ははじめに排除しておくが、離陸は(V1を超えていなければ)中止すれば安全な世界に戻れる決断を要する。それに対して着陸は続行したら危険でも中止したらもっと危険かもしれない (あるいは危険が先送りされ利息が付くだけかもしれない) 世界だ。飛行は冒険ではない。したがって中止または続行の決断を要する人間のパイロットには、着陸時より離陸時の方が重く責任がのしかかるともいえる。
技術的な自動離陸は、フライトシミュレータでもやってみれば(ある程度)できるし、操作というか行為としては実機で現状実施されている行為とほとんど変わりない。ただし必ず二人からの人間がいつでも介入できる状態で待ち構えていて、すなわちその二人がいる限り自動ではない、というのが『自動離陸不可能論者』のポイントである気がする。
離陸が難しいとされるのは、まず第一に滑走路上を正しく進みながら加速することである。これは可能だ。既存のINS・GPSをセンサとしたFMSでも、コースがちゃんとセットされていれば滑走路からはみ出さない程度の誤差で走れるはずだ (現実のFMSにそういう機能はないと思うが能力的に可能ということ)。適切な推力に上げることはTO/GAで実現されているし、適切な高度まで引き上げるのもオートパイロットの機能で出来る。もし着陸時のILSに匹敵する滑走路走行の精度が必要ならば、車輪の左右操舵をローカライザで行なってもよい (これは実現できてないと思われるが現状技術で可能だ)。また高精度で離陸時に誘導するための別の誘導装置を新設してもよい。現在は高速道路における自動運転も研究されている時代だ。空港の滑走路・航空機というのは道路・車よりも長さ・台数の面ではるかに限定された設備・機器である。
話はそれるが、スポットから滑走路までのタキシングを無人化するというのも、技術的には可能な話である (全航空機・空港の改造・新たな装備を許すならば - 後述する『有人機が混ざること』には問題がある)。基本的にはある経路に沿った走行技術である。マイクロマウス(迷路をロボットが走り抜ける競技)で20年・30年昔のアマチュアができていた制御を、そのために莫大な資金を投じてできないわけはない。というかできる。
複数台のタキシングする航空機の協調については、これをリモコン・中央制御で行なうのか、航空機が情報交換し機上に搭載したセンサ・計算機で自律制御で行なうのかで複雑さは異なるが、電車だって有人で安全に指令からの指示通り走れるし無人で遠隔運転もしている。設備と制御方式(そこから導かれる安全性が十分であること)の問題だけだ。
第二の『自動離陸不可能論者』のポイントは、非常時のリジェクト(緊急停止)操作・または離陸継続への自動判断が難しい、ということである。現状の設備では、これは認めよう。だが、航空機側はまったくの無人で離陸することを仮定するから難しいのではないか。後述するように一人のパイロットは残すとしたらこの問題はほぼ解決できる (技術的な自動離陸の難しさ、っていうか簡単さに帰着する)。
パイロットなしで自動離陸できるのか。過激な新規技術を許してもらうなら、航空機のコックピットで現状で分かる範囲のすべてのパラメータを遠隔センシングして無人離陸機専用空港の管制塔(離陸担当)が判断すれば、パイロットなしでも可能である。管制塔が離陸の中止・続行を指示すると、機械が最適な緊急停止操作、またはエンジン一基による離陸継続などを行なってくれる、という方式である。
現状で、機内でないと分からない(遠隔操作だと分からない)ような情報というのは、音(振動)・臭い・視覚あたりだろう。音や振動は十分なセンシング技術で異常検出できそうだ(なんなら管制塔に生情報をHiFiで中継してもたいした情報量ではない)。臭いはどうにもならないだろうが、臭いが発生するような事象はそもそも温度センサなど他の物理量として検出するのがまず第一義だろう。視覚情報に至っては、コックピット内に雨漏りがあったとかではない限り(笑)、外部からの観察のほうがより優れているかもしれない。
ここで問題になるのは、まったく無人(遠隔操作のみ)航空機だと、離陸を続行した場合のリカバリができるのか、という点である。これについては巡航中に故障した場合でも同じなので、後述する無人航空機は可能なのか、というはなしに帰着させたい。
自動機と非自動機が混ざったら
この議論は、高速道路での自動運転など、自動制御の世界では必ず生じることである。要するに、全自動操縦される航空機の集団に手動操縦の航空機が混ざったらどうなるか、ということである。
上に述べたようにここでのスタンスは、多くの場合自動操縦のほうが手動操縦より信頼ができるというものである。したがって、正確・緻密な自動操縦が気まぐれな手動操縦に邪魔されないかということが問題の大半である。
ただし逆もあって、自動操縦と同じようなアルゴリズムを手動操縦も管制に指示されるわけだから、人間の直感に反する最適管制を指示された場合には手動操縦側も迷惑だろう。
これを解決する安易な方法は、混在は許さず自動機と手動機の棲み分けをしてしまうことである。問題は、空域が狭くなることである。高速道路での自動運転も、おそらく最初は運転レーン分離という形ではじまるのだろう。
現在でも、高度および地域によってVFR機 (目視で飛ばなくてはならない)・IFR機 (計器で飛べる)が飛行できる領域は決まっている。このほかに、軍用機専用の領域は入っちゃダメ、とか、羽田空港はのろい飛行機は離着陸しちゃダメ、とか、差別ではない区別はいろいろある。これと同様に、自動機はここ以外は飛ばない、手動機はここに入ってはいけない、という領域を定めることは不可能でないと思える (これは自動機のための航法設備配置の数を制限できるメリットもある)。ただし現在の自動化のひとつの目的には『最短経路を飛んでエコに貢献』(げろ) とかいうのもあるわけだから、手動機専用空域のために自動機の飛行効率が最大限にならないデメリットは考えられる。
このような過渡期を経て全航空機が(ほとんどの、ではなくすべての、である)自動操縦になったとしたら、全空域を自動操縦空域化してしまえばよい。ちなみにこのような移行措置が必要なひとつの理由は全航空機がいっせーのせで自動操縦化できないからである。というより、空の世界の標準化のテンポは遅い。ある飛行方式や計器を航空機で使えるようになるだけでも大変な時間が掛かる。まして全航空機で義務付けるにはもっと時間が掛かる。車のほうが台数が多いにもかかわらず『無鉛ガソリン化』『エアバッグ装着』などのほうがよっぽど、普及に時間がかかっていない。
ただし全空域を自動操縦化できる社会的枠組み・技術的枠組みができたとしても、やはり手動操縦との混在はなお考えていかなければならない問題である。ここでは運搬のための操縦だけについて考えているが、楽しみのための操縦というのも存在するからだ。
パイロットは2人必要なのか
このページの結論ではパイロットはゼロにしたい。緊急時でも自動化できるのをここでは自動と呼びたい。ひとりでよいということになら、現状から少ない変更で可能である。
現在旅客機でパイロットが2人必要なのは、バックアップのための要員である。パイロットのもしものときのためにコパイロットがいるのである。もし上記までの議論を二百歩くらい譲って、『完全自動操縦は緊急時にはできない・平常時だけだ』という結論になったとしても、平常時の自動操縦のもしものときに、唯一の人間パイロットが出てきて操縦すればよいだけだろう。緊急時に自動操縦ができなくて手動操縦していたら人間も脳溢血で倒れた、というような事態を考えていたらきりがない。現状だってパイロットが2人同時にどうにかなる確率がゼロとはいえないし、ETOPSだって片発停止中の120分なり180分なりにもう一発が止まる確率は0ではない。
問題なのはパイロットの技量維持である。自動操縦が基本になってしまうと、普段操縦していないから操縦ができなくなってしまう。しかも緊急時に普通じゃない(『機械ではできない』ような)操縦を要求されるのである。
これについてはいまでも同様の問題が存在する。したがってときどきはパイロットは自動操縦を解除し手動で離着陸を行なって技量を維持するわけであるが、ここで述べている問題は現状よりもやや根深い。つまり、自動機は自動で離着陸・運行しても良いのではなく自動で離着陸・運行しなければならない世界を仮定しているからである。
おそらく自動機の運行を妨げないように自動機に合わせて手動操縦しようとしたら、システム全体(航空機だけではなくリンクされた地上および航法支援のセンサ・演算装置)が指示してくる最適な飛び方は、平常時であっても滅茶苦茶かもしれない。それを少しも外れてはならないような技量も要求されるだろう。乱気流があるときはmsec単位で推力を厳密に合わせ……という指示がくるかもしれない (まあそうなったら自動で飛べばよいのだが)。
したがってここでも、ワンマンパイロット機のパイロットが技量を保持するならば、自動機空域と分けられた手動機空域で、運行以外のとき練習してもらうほかなくなってくる。あとはシミュレータといったところだろうか。
パイロットは1人必要なのか
ここまでで結論は書いてしまった。ワンマン完全自動操縦機はいますぐにでもできる。無人の完全自動機は、『平常でない運行条件』や『非常事態』に十分対処できるだけの入力と対処のアルゴリズムがあればできるであろう。無人でもワンマンでも2マン(現状)でも死ぬときは死ぬ、そしてそれは確率として変わらないくらいにできる。おしまい。
面白いのは、『もし無人旅客機が実現されたら』という条文が最近(1999年)航空法に追加されていることだ。
(無操縦者航空機) 第87条 第65条及び第66条の規定にかかわらず、操縦者が乗り組まないで飛行することが できる装置を有する航空機は、国土交通大臣の許可を受けた場合には、これらの規定に定 める航空従事者を乗り組ませないで飛行させることができる。 《改正》平11法160 2 国土交通大臣は、前項の許可を行う場合において他の航空機に及ぼす危険を予防する ため必要があると認めるときは、当該航空機について飛行の方法を限定することができる。
補足しておくが、そもそも農薬散布のラジコンヘリとか、テロに使うことができるのではないかと危惧されている(反面無人警備などにも期待が掛かっている)自立制御無人機・ラジコン機などは、航空機にあたらない。人っ子一人乗っていないものは単なる飛行物体であり(それなりに法律で制限はあるけど)航空法で制限されるものではないのである。したがって、上記の条文は、あきらかに旅客はいるけどパイロットがいない状態を想定されて追加されている。
この条文ができたときに、無人戦闘機の飛行について規定したものだ(だから米軍が飛ばそうとしている物体に法的根拠を与えるものだー、アメリカべったり政策だー)、と国会(どっかの委員会だったか)で質問があったと思うが、これまた無人戦闘機については『航空機』でないのだから、見当外れである。
まあそんだけ。法律ができたから技術的に可能、とかいうわけでもなし、技術的に可能になったらなったで上記の条文ひとつではどうにもならないだろう (前記の『自動機空域』を規定するはなしとか)。そのときは法律も変わる。
