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出典: Tariki

雲南のポートレート

「正直に言ってしまえば」。

ガイドの喬さんの口癖だ。お土産の紹介や中国のよいところ、そういうセールストークの後に「正直に」補足が入るのだが、それが建前に対する本音である場合もあれば、それまたセールストークである場合もある。

正直に言ってしまえば、今回の雲南・広州・香港の人物写真の中には金を払ってモデルをしてもらったケースが全部で4件ある。私は日本でも人物写真を撮るときに然るべきモデル料を払うことが ある。モデルは自分の肖像を定着させ画をつくらせる労役を供しているのだから、カメラマンが代価を払うのは当然のことだ。

だが旅行写真で行きずりのひとを撮るのとでは、おのずから関係が異なってくる。旅行者と現地のひと、ではなく、カメラマンとモデルの関係になる。

『金を払って』撮らせてもらった4件のうち2件は、道端で演奏を聴かせるというもので、金を払った上でじっくり写真を撮らせてもらった。日本でもみなとみらいあたりでは道端で大道芸なり演奏なりを見かけることがあるが、観る・聴くときには当然、代金を払うべきだ。払わないで立ち去る奴がいるが、芸というものをナメている。ただ日本の(外国人演者も含め)大道芸では、あからさまに終わりに「はいこれから帽子が回りま~すそこのお母さん、帰らないで!!」とかいう事態になるが、麗江郊外・石鼓鎮の南シルクロードに至る吊橋の袂で民族楽器を演奏していた2人のお爺さん、麗江の白沙村で伝統音楽を演奏していたトンパ族の数人のお爺さんのチームとも、『我々は無償で演奏を提供しています。お志を』のような立札を掲げ、金を払って観ようが払わず立ち止まろうが、淡々と演奏していた。志を箱に入れるとただ黙礼を返すだけである。視線もくれない(その方が自然でこちらは都合がよいのだが)。

もう2件は、「1元で写真撮らない?」みたいに子供が寄ってくるものである。ただしその2つの背景事情はいささか異なる。

ひとつは、シャングリラ郊外の土産物屋の前に観光バスを横付けして我々の集団が買い物をしていると、遠巻きにみている乞食の子供がいる。写真を撮ろうか迷っていると、子供が寄ってきて、一人1元、5人兄弟だから5元くれ、という。10元やるから思う存分撮らせろ、というと逆にあきれて黙ってしまった。衣服は民族衣装のようだが、ニューヨークヤンキースのキャップは被っているわ、ピースサインは出すわ逆光で撮りづらいわ(笑)、まあモデルの仕事をするならば心構えとしていかがなものか、と思うが、彼らは『モデル業』に生活をかけているようである。標準語が通じるのは一番上のお姉ちゃんともう一人の弟だけのようで、学校にもまともにいっているかどうか怪しい。肌には昔懐かしい(私が小学生くらいの時には日本にもいたが)シラクモだろうか、皮膚病のあとが見られるし、どうも目を悪くしているらしい弟もいる。衣装は華やかにみえるが粗末で薄汚れている。

そんな生活をしていて、父ちゃん母ちゃんは何をしているのかわからないが、おそらく月々の稼ぎは数百元(百の位前半台)であろう。10元のモデル料といったら私には150日本円だが(日本ではモデル料は1時間1万円程度が相場である)、彼らの親の日給に相当するくらいだ。

もうひとつはいささかナメている。シャングリラの松賛林寺に登る小道で、「2元で写真」少年少女が多数追いかけてくる。こちらは、特に生活が苦しいというわけではないようだ。現地では学年末休みなので、おそらく夏休みのアルバイト、といったところだろう。身奇麗でこざっぱりしており、民族衣装にも汚れはない。

中に顔立ちの可愛いお姉ちゃんを見つけたので「寺に行ってから後でね」と約束すると、弟が殊勝にも寺の拝観を終えるまで前で待っていてくれて、約束だから撮ってくれ、という。さてでは撮るか、と構えていると、ぞろぞろ兄弟やら友達がやってきて、全部で5元とか2元で何人だからとかとかいいだす。

お寺に寄進したのが10元で数珠までいただいたんだぞ、それに比べお前らの労務は5元に値するのか、と説教しようとして中国語で何と言おうか考えていると(笑)、我々の現地ガイド(彼女もチベット族だ。『夏休みのバイト』したことあるのかな?) にひとり2元までよっ!! と叱られる。まあ4人で10元払ってやった。

この2つの『1元モデル』の事例、生活にかける必死さの違いは写真に出ているだろうか。

話は変わるが、アジアの子供達を集めた写真集をみかけたことがある。よく現地の子供と溶け込んで写真を撮らせてもらったな、と感心していたが、このようにすれば結構簡単に子供の生活の写真なぞ撮れてしまうものだな、と思った (別にその写真集がそうだとか、そういうことをを批判しているわけではない)。

ただし、繰り返すが金を払ってモデルになってもらった場合、カメラマンとモデルの関係が発生する。それは風景中の人物写真とか民族の習慣をあらわす写真、旅行のスナップなどではない。モデルを金で雇ってその役務に対して金を払う、その『作られたモデル』をあえて作品に定着しようという覚悟がない外国人は、ほいほい金で子供を釣って写真を撮らないで欲しい。国でモデルを金で雇って撮影する習慣がないひとは、外国に来て突然、1元モデルを雇わないで欲しい、ということだ。そういうのが蔓延すると、モデル側も民族衣装でないものは着ているわ、ピースサインは出すわ、一緒に映ろうとするわ、で、ちゃんとしたモデルにならぬ。

と正直に暴露してしまったが、他の、現地の人と仲良くなった上で無償で撮らせてもらった写真との違いは感じ取れるだろうか。